赤ちゃんはどの様に愛着型と道徳心を学ぶのか?

赤ちゃんの研究から学ぶ哲学

自分の子には人間として素晴らしい子になって欲しいと思いますよね?いくら勉強ができても人間関係を気づけなかったり、善悪が判断できない様であれば世の中の役に立つ人には慣れません。この様な人の基本的な性質がどの様に決定されるのか、また生きる意味にどの様に繋がるのかを書いていきます。

赤ちゃんはどの様に愛着型と道徳心を学ぶのか?

愛着型とは恋愛や人間関係などにおいて相手とどんな関係でいたいかを決めるものです。

愛着型は相手が自分のことをどの様に思っているか、自分がどの様に振る舞うべきかに影響します。

道徳心とは何が悪で何が善かを決めるものです。

愛着型や道徳心は人間の基本的な性質を決める重要な要因です。赤ちゃんがどの様に愛着型や道徳心を学ぶのか見ていきましょう。

赤ちゃんはどうやって愛着型を学ぶのか?

幼児が遺伝と環境の影響を受け好循環を生み出して学習、観察、実験を繰り返していくことを以前の記事で書きました。

赤ちゃんは生きていく上で信念や願望を学ぶだけでなく愛着型を形成していきます。愛着型には下記のパターンがあります。

  • 安定型…確実に愛を得られる人だけを信頼し、その人がいなくなると悲しむ。しかし、愛を得られる人が戻ってくると安心する。
  • 回避型…愛を得られる人がいなくなっても表情に出さしません。しかし、表情に出してしまうと事態が悪化することを学んでいるだけで生理的な機能を測定すると悲しんだりしている。
  • 不安型…愛を得られる人がいてもいなくても悲しんでいる。時には乱暴に暴れて怒ったりもする。
  • 無秩序型…愛着パターンが突然に変わってしまう。後の人生で様々な問題にぶつかる事が多い。

こうした愛着型のパターンには文化的背景が関係あり、アメリカに比べると日本は不安型が多い様です。

この様な愛着型が形成されるのかは下記の様な理由を赤ちゃんの中のデータベースに蓄えるからだとされています。

  • 安定型は不安を訴えれば慰められると思っている。
  • 回避型は不安を訴えたら余計に不安になることが起こると思っている。
  • 不安型は不安を訴えても慰めてもらえるか確信してない。

どの愛着型が優れていると言ったことはありませんが安定型が好ましいとされています。

相手によっても愛着型が変わるみたいでお父さんに対しては不安型、お母さんに対しては安定型という様に違ったパターンを示すこともある様です。

こうした愛着型は大きくなってからの愛の表現方法や愛の考え方に影響を及ぼします。赤ちゃんの時に安定型だった子は相手の気持ちを察し適切な行動をとる事ができます。

他にも幼児期の親子愛と大人になってからの恋愛が同じ性質だという説もあります。

子供の時に親と上手くいかなかった人でもうまくいかなかった理由を順序立てて話せる人は親とのやりとりの因果関係を理解しており、その人の子供は安定型になりやすい事が分かっています。

子供時代は一瞬で過ぎ去って行きます。その子供時代に経験した体験は一生その子の財産となって、生涯損なわれることはありません。

子供には自分で自分の未来を切り開いていく力があります。その力を開花できるかどうかは子供時代の体験に依存する部分が多く、親がしてやれることは非常に重要です。

赤ちゃんはどうやって道徳を学ぶのか?

赤ちゃんが信念や願望だけでなく愛着も学ぶことを解説してきましたが、道徳についてはどうなのか書いて行きます。

長年道徳が身につくのは青年期以降だと考えられていましたが、最近では新生児でも基本的な道徳観が備わっているというデータが出てきました。

世界を変えていく時に知識を蓄える事と反実仮想を描く事の2つが揃わないと行けませんでした。

道徳的思考を学んでいく時にも自分自身についての知識を蓄え、相手の立場に立って考えることが大切です。

1歳でも相手の感情を自分のものとして取り込み利他的な行動を起こす事が知られています。つまり、1歳でも共感能力があるのです。

モノマネをするのも共感によるものだということも分かっています。

赤ちゃんは相手の表情を真似する事で相手の気持ちを理解しようとします。

実際に怒った顔をすると気持ちも少し怒った時の様な気持ちになることが知られてます。また、相手の苦痛の表情をみると相手の苦痛を取り除きたいという動機が生じる様です。

しかし、こうした行動が相手のためでない可能性もあります。

デヴィット・ヒュームの研究によると幼児は自己を完全に確立できず、自分の苦痛なのか相手の苦痛なのか区別できないだけの可能性があります。

また、共感が親密な関係のもとで生まれることも分かっており、親子関係などの親密な関係は自分と他人を区別しにくくする事が知られています。

幼児でも道徳は普遍的なものでルールを守ることよりも大事であることを理解しています。

幼児に鞄を決まったところに置かない、昼寝の時間にお喋りするなどルールを守らない例と他の子供を叩く、他の子供の食べ物を盗むなどの身体的、精神的危害を加える例を示したところ後者の方が悪いことであるという判断を下しました。

また、この結果はアメリカだけでなく韓国やコロンビアの幼児でも同じ反応が見られています。

稀に大人になってもルール違反と人を傷つけることの違いが分からない人がいます。

この様な人たちは他人に直接共感することはなく、サイコパスと呼ばれます。

ジェームス・ブレアの実験によると凶悪犯刑務所の囚人は熱情や誘惑にかられ衝動的に犯行を犯した人たちと罪悪感のない人たちに分けることが出来た様です。

サイコパスの傾向は子供の時にも確認する事ができ、人の悲しみや恐怖の表情を見ても動じないという特徴があります。他人の悲しみや恐怖の感情を取り込む事ができないため道徳的判断もできません。

道徳的な問題には答えのない複雑なものが多くあります。

私たちは誰かを助けるために誰かを犠牲にする様なトロリー問題に直面した時や同じ人種、言語などのグループをより尊重する傾向があるなど道徳的難しい問題に対しては規範的な考え方をします。

私たちは何をすべきかを考え、それに基づいたルールを構築することで道徳的に適切な反応を広めて行きます。

生きる意味

多くの科学者は神様の様な神秘的な究極的て超越的な目的があるという考えに疑問を持っています。神秘的な理由がなくとも私たちは根源的な直感により生きる理由を見いだす事ができます。

  • 畏怖…広い自然や宇宙の複雑さや壮大さに対する畏れのことで自分の存在がちっぽけな存在に感じられる。
  • 魔法…非現実的な空想世界に対して抱く感覚のことで幼い子供の可能性は魔法の様に広がっている。
  • 愛…自分以外の誰かを自分以上に大切に思う気持ちのことで子育てなどで感じる事ができる。

世界は想像が及ばないほど広く、人間の可能性も魔法の様に不思議で満たされています。

こうした世界で自分の人生だけを考えるのは非常に視野が狭く、もったいないです。

子供が次の子供にバトンを渡していく過程で人類の発展に貢献し個人個人が幸せな人生を送れる世界を作っていく事が生きる意味の様に思えます。神秘的なことを信じていなかったとしてもこうした感覚を感じ、生きる意味を見いだす事ができるでしょう。

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